2011年09月11日

お買いもの

お買いもの

週末は家族で買い物に行くことが多い。子供の学校で必要なものや季節モノの服など近所のスーパーではちょっと足りないものを買いに出る。今日は女房殿の服とついでに小生の秋冬モノをば。

昼前にイオンに入るとイベント広場でなにやら人だかり。
お買いもの

どうやらご当地アイドルが来ているようで。看板を見てみると高松・岡山のご当地アイドルグループ「きみともキャンディ」と「SakuLove」(さくらぶ)のデビューイベントだとか。絶叫しながらオタ芸する方々や一番前で砲列を作る方々もおり(女房はかなり引いてましたが)、彼女たちには頑張ってほしいですね。

あの衝撃の「9.11」から10年。あまりの暴挙に特撮映画のような非現実感すら思わせる卑劣な示威行為は、一体何だったのか?大量の罪なき命を同志共々一瞬で奪い、ましてや守るべきはずの婦人や子供にまで自爆テロを勧め、これは正義だ、当然の報いだという思想のどこをどう理解しろというのか。自らが楯とならずに戦いを叫ぶ者の末路は歴史が証明しているのに。

その一方、決めつけた首謀者を圧倒的な力で長きに渡って追跡し、ついに殺害。その10年の間に国境を超え、あらゆる法律・規則を正義の名の下に都合よく改変し、または踏みにじってきた国がある。そして新たな憎悪を生みながら、そして戦死のみならず一般市民の死者まで出しながらもいまだ戦争は続いている。まだ終わりが見えないこの報復戦争は、本当に国民が望んでいるものなのだろうか?互いの憎悪を本当に武力で解消できると思っているのだろうか?何か別の理由により、一方が消滅するまで続けているようにしか見えない。

歴史を顧みると、国家や宗教という権力は「参った」とは言えないようだ。本来守るべきはずの頼ってきた人達を死地に向かわせながら、自らは死ぬ気がないのだから当然であろう。権力の「権」は、人間が持つ欲の権化の「権」である。これは戦時・平時でも変わりはない。

この10年を生きてきた者の教訓は、権力のある者がどれだけ正義を唱えても、そこには決して正義はないということ。幸いなことに、いくつかの国には、ある程度の言論の自由と情報網、そして選挙権がある。これをどう使うのか、真剣に考えることが我々に求められる。命を奪う「武器」の模型を愛でる者として、これが実物とならないよう切に願うものである。



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Posted by So-Sui at 22:00 │◆SANUKI Days